『だんしはしんだ』 合掌

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「だんしはしんだ」談志さんが回文としてお気に入りで、02年に出版された「遺言大全集」の「早めの遺言」では「死亡通知」として「おれが死んだ。おれとは、この俺様、落語立川流家元立川談志のことで、死因は『ふとした病』である、『立川談志は天に召された』。これほどの損失はいまだかつて日本にあるまいに」と書いているのだそうです。

 

稀有な落語界の風雲児、談志さん突然の訃報報道から一夜明けても未だ信じられません。はるか昔の60年代、北海道のTV放送といえば定番のNHKそして、東京をキー局とする番組ばかりで、映し出されるのは巨人(V9継続中)、大相撲、アメリカンサブリミナルホームドラマ、歌番組...そんな中、66年から始まった「笑点」で落語世界に触れ、凡そ伝統落語のイメージとは大きくかけ離れた破天荒な噺家、談志さんに出会いました。

 

「てやんでぃ、べらんめぃ」一見、強面で乱暴、過激で毒舌、それでいて軽妙な道産子好みの江戸弁。格好良くって、粋な偽悪者で、憧れでした...。歯に衣着せぬ、直線的で問題発言も数々ありましたが、でも、我々が言いたくても言えずに心の奥底にしまい込んでいるモヤモヤな処を、スッキリと代弁してくれているようで、不思議と心惹かれる...そんな魅力のある人でした。

 

常に強気なポーズを取りながらも、ふとした時に男の弱さも見え隠れする...行き方が正直な人でした。そんな談志さんの「格好いい」アクが強くて超個性的な...ダンディズム、ロマンチシズム、エロティシズム、ニヒリズム...これらは直弟子の志の輔さん、談春さん、志らくさんら50人のお弟子さんに引き継がれることでしょう。

 

そして、会見で「何も...考えられない...」と号泣していた三枝師匠が、六代桂文枝襲名を事前に相談していたのは、談志さんだけでした。それだけ三枝師匠も信頼をおいていた存在だったのですね。

 

心からご冥福をお祈りいたします。

 

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