この度の大災害で、胸の内側から何かが噴出したようで...

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人には知る権利、知らせる義務、自由に発言する権利、言ったからにはその言葉に責任を持つ義務など、様々な権利と義務があるのだろう。だがしかし、何でも重箱の隅を突くように探り出し、それを何であれあからさまにさらけ出し、根拠や信憑性を疑うようなことまでたれ流し、裏のそのまた裏の事情までスキャンダラスに告知することが被災者はもとより、一般民衆に対して必要不可欠で客観性のある報道と言えるのか。そして何より、被災者や一般大衆にとって本当にそれらが有益な情報と言えるのだろうか。ましてや政治屋連中、不安に乗じての政治の都合や道具として使うなど言語道断。政治主導が空回りしていて、国や行政の救援、支援は一向に進まない。政府と東電や保安院との連携もスムースに行ってるようには見えない。しかも未だに政治屋連中、政治屋組長の顔がまるでマスコミが打ち合わせたかの如く、見事に見えてこないのは不思議である。唯一連日登場の枝野にしても、単に手渡されたデータを読み上げるだけの冷や汗ロボットに過ぎない。

 

今のこの不安定な社会状況、現実的に壊滅的な地域が広範囲にわたってある現状ではむしろ、不安材料ばかりの報道は恐怖感を煽り、絶望感を与えてしまったり、何を信用していいのか混乱をもたらすだけだ。そして今は直接の被災者だけでなく、現地を取材している報道関係や、一般視聴者がTVに映し出される破壊的なシーンを繰り返し見ることによって起きるあのPSTD(心的外傷後ストレス障害)が問題になっている(個人的には弟の件も重なって、その傾向があるような...)。あれもこれも情報を氾濫させては、あの政府ですら優先順位が分からずパニックになって、説明に窮しているくらいなのだから、一般市民の思考回路は推して知るべしだ。一時期はどのTVチャンネルも同じ内容で悲劇的で絶望的な映像だけが放送されていた。本当に今、その映像や情報が我々一般市民、いわんや被災地の方々にとって必要なのか。

 

大地震、大津波、原発事故...次から次へと破壊的なクライシスが続いて今現在の報道は福島第1第2原発による放射能情報がメインになっている。被災地での自衛隊による決死の救護活動や各ボランティアの活動、避難所で避難生活をしている人たちの声などは次のテーマに移されている。これも問題だ。必要なのは難しい...ベクレル、シーベルトなどといった...しかも信憑性に欠ける数字や専門用語で(聞けば聞くほど分からなくなってしまう)、不安や恐怖心を煽るが如くの情報ではない。それならむしろ「だからどうしたらいいのか」といった具体的な救済策、「光や希望が見えるような情報」「勇気やヤル気が湧いてくるような情報」が最優先されるべきだ。行き過ぎる表現や、大げさな数字の見出しや連発などは、結果的に取り返しのつかない大きな風評被害になる可能性だってあるし、少なくとも悪しき風評を助長している。被災地、その現場では医薬品と医療チーム、水や食料品などの救援物資、必要な処に必要分の救援活動...細かく言えばきりがないほど正に今この瞬間、それらを早急に必要としていることだけは確かなのである。

 

この度の福島原発のトラブルを発端に、ドイツでは反原発運動(25万人クラスのデモ)が活発になってきたようだが、現実的に見て原発に代わる他の安全で地球に優しく、クリーンな強力発電方法があるのだろうか。どう見ても風力、太陽光発電なんかじゃ社会の電力需要をまかないきれないだろうし、現実的じゃないことくらいは素人でも分かる。今さらひと昔前の火力、水力発電だけで現代電化社会の電力需要をカバーできるのか疑問だし、他に何か画期的な電力でもあるのだろうか。何でも単純に反対したり、安易に賛成したりでは問題の本質を見失ってしまうような気がしてならない。

 

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