★そろそろハノイの旅もエピローグ

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ハノイも明日でお別れ。とうとう最後までハノイの太陽を拝むこともできず、何よりも寒さの中で震え上がったベトナムだった。Netで調べたらホーチミン36℃―24℃でハノイは13℃―11℃...1700㎞離れているとはいえ、この予想外の気温差にはかなりガッカリ。冗談じゃなくホカロンでも持ってくれば良かった。体調優れないまま札幌を発って、温かなハノイで回復しよう...なんて、とんでもない。今日になってハノイ疲れまで出てきて、葛根湯はずっと呑み続ける羽目に...。

 

そして、事前にもっとテト(旧正月)事情を調べておけば良かったと後悔(今となっては後の祭りだが)。日本で言うところの大晦日や元旦はまあ、会社や店が休業になるだろうことくらいは予測納得できるし、しかたがない...と諦めもする。だがハノイはある意味観光都市でもある訳だし、まさか正月三日間(4日目の今日もほぼ休み)、何処もかしこも(ショップ、レストラン)全部が全部、かたくなに休みっ放しというのは流石に考えてもいなかった。

 

4日目の今日になってチラホラ開け始めた店もあるにはあるが、地元民相手の屋台のフォー屋とか、値段のいい加減な土産物屋ばかり。スーパーマーケットやショッピングセンターも全然ダメ。結局、ハノイカオスの滅茶苦茶さと活気を感じたのは着いた翌日(12)だけだった。太郎村に滞在した3日間も親せきとのご挨拶とお寺さん参りだけだったし、ハノイに戻ってからの4日間は、いわゆる「シャッター商店街」(シャッター閉めているのでなおのことホコリっぽさが目立つ)を、ひたすら歩き続けただけ。

 

私の感覚とはなかなかかみ合わなかったハノイの街。街並みは昔、フランスの植民地だったということもありパリ風()なのはいいが、ひどく色あせ朽ち果てているし、寺院も多いけど全てが中国風。だけど、これでせめてもう少し気温が高く、市場や軒を連ねている店々が営業している日常や普段の風景があったら、きっとハノイの印象もずいぶん違ったものになったんだろうと思う。

 

処で、ハノイの建物は(近郊の田舎もそうだったが)道路側に面している部分が極端に狭くて、奥行きが長~くなっているのが特徴だ。いわゆる「ウナギの寝床」状態。きっと日本と同じように路面価格が高いので、そうならざるを得ないのだろう。道路に面していなければ普通に四角い家もある。そう言えば名古屋市内のビルもそんな建築が目立っていたなぁ...。

 

全体的な印象としては16年前に訪れた時のホーチミンと、あまり変わっていない感じがする。土産物屋は何処もかしこも変わり映えのしない同じ商品ばかり並んでいて、違いは値段の差だけ。しかも「オッ!」と思ったら、BKKの問屋街に売っている商品・グッズと同じものがあったりする。大部分はメイドインチャイナだろうけど...。

 

「アジア田舎の村の旧正月」...次はもう二度とお目にかかることもないであろう貴重な体験...今回のベトナム旅は、太郎の故郷・ナンブリックの「村で過ごすテト」がメインテーマになった。他の国々はどんな状況なのか分からないが、少なくともベトナム・ハノイへの旅行は、絶対にテトは避けるべきである。

 

正月飾りのホアンキエム湖畔・イルミネーション夜景も綺麗だけど、それだけをずっと眺めているのも芸がない。夜風の冷たさは心まで沁みて、一段と寂しくなるのがオチだろう...ホーチミンではあまり気付かなかった飲食店やホテル、商店でのスマイルやホスピタリティも、悲しくなるほどレベルが低い。営業用でもいいから笑顔があったら、もっと過ごしやすくなるだろうに...とにかく、テトまっただ中のハノイってのは、まったくもって意味がない!

ドンスアン市場外風景.jpg★ドンスアン市場は今日も休み。場外では元気なおばちゃんが早速、店開きしていた。アジアの女性は実に働き者である。

ハノイの街角01.jpg★ハノイ・旧市街...何時もなら賑わうであろうハノイ・旧市街も、ほぼ全域シャッター商店街でひっそりか~んとしている。

ハノイのカフェにいた赤ちゃん.jpg★ハノイの小さなカフェにいた看板娘()の赤ちゃん。その無垢な可愛らしさには国境はない。

大教会前の若者集うカフェ.jpg★大教会前にある若者が集うカフェ。ベトナム人は老いから若者まで本当にカフェタイムが好きなのである。

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