★今、改めて「スープカレー」への思い

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私は純粋に食べることが好きで、料理を創ることが何よりも大好きで、「食の道」は、自分にとってこの度の人生の学びの道程であることを自覚している。だからこそ厭きもせずせず40年以上の時間を懸けることができた。

 

17年前に二度とこの極道には舞い戻らないと心に決め、旅に出た筈なのに「もう一度原点に帰ってやってみよう」と考えたのは、インド・ネパールを巡った際、己の内観するものとの符合を見て、それまで精神世界をひたすら歩き続けたことの意味を再度確認することができた。そして、「この極()道こそ己と光の世界とを繋ぐ修練修行の場なのだ」と、些細ではあるが悟ったからである。

 

しかし、やるからには大衆に迎合しない。既成概念、固定観念に囚われず、内観して現れたイメージを素直に表現する。医食同源が基本なのだから、食された方々が魂を解放して至福を感じ、自然に笑顔を浮かべ、元気になって頂けるものを創り続ける...そんな思いがあったからこそ、今の料理(スープカレー)が出来上がったのである。それ以上でも、それ以下でも断じてない。

 

「無から有を生む」...リメイクしたもの、モデルチェンジした作品とは違って、創造されたものは当然ながらイマジネーションを駆使してクリエイトしたアートに他ならない。そして、その創造力(無から有を生み出すエネルギー)は、天が我々人間に与え、しかも天の持つ最大のパフォーマンスと同様の能力であるはずだ。

 

ところが現実はどうだろう。巷にはコピー商品のオンパレード。フェイクはフェイク。コピーはコピーでしかない。そこには、(こじ付けのウンチクはあるにせよ)アーティスティックなセンスもなければ、アイデンティティ、作者のスピリッツやポリシーの欠片も見出すことはできない。「儲けりゃイイんだろう」式の「Made in China」的な商品や料理に、哲学の宇宙は見えるだろうか。

 

まあ、百歩譲って...本人の意識次第ではあるが、それもまた一つのビジネスモデルなのかもしれない。日本人の魂である恩・仁・義を無視して、合法であればやり方はどうあれ、「地域社会の発展」「地域への経済的貢献」のためという大義名分を掲げて、恥も外聞もなく実は個人的な成功だとか事業的利潤の確保に走るのも、人間としての尊厳さえ捨てることができれば叶うのかもしれない。だが、私の「食」に対する基本的な思いはこのような輩とは次元も人種も大きく違っている。

 

第三者や偽造盗賊団は、如何思ってビジネスに励んでいるか知る由もないが、「スープカレー」とは、私の人生そのもの。日々の修行生活における魂源である、と同時に生きることの意味の答えでもある。故に私の創りだした「スープカレー」という新食文化は私の子供でもある。それを単なるビジネスやお金儲けのツールには、断じてして欲しくはない。プライドなんぞ、そんなちっぽけなものは持ち合わせていないが「新食文化の根源、発祥の精神」を、これ以上蔑まされたり、蔑ろにされたり、お座成りにされては、悲しみを通り越して虚しさすら感じてしまうのである。

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