久しぶりに両親に挨拶とお礼に、雨は嬉し泣き?

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せっかく札幌に帰って来たってのに、ド~もお天気...空模様が冴えない。昨日今日は札幌店が休みということで、昨日はブログにも書いたように余市の村松師匠にご挨拶。そして今日は絶え間なく降りしきる霧雨の中、お墓参りに行って来た。

 

元々我家の先祖代々之墓は、数百年間、上野のお寺さんに在ったのだが、十数年前に父が亡くなったのを機に、私が札幌真駒内霊園にお墓を引っ越しすることにした。思えば両親も私も道産子でもあり、地元にあった方が行きたい時に行ってお参りできる。

 

墓石は私が全面的に企画した。どうせ創るのなら、枠にハマって陰湿にならぬよう、私の人生でエネルギーを頂いてきたインド、タイ、ミヤンマーなど東南アジアの国々の寺院のイメージでデザインした。当時は、レコード大賞、歌謡大賞と並んで日本三大大賞と言われた(?)、全日本墓石大賞に輝いたり(!?)、お盆、お彼岸ともなればTV局から何度となく取材依頼もあったりして...。亡き両親も「しょ~がないヤッチャ!」と喜んだり、照れ笑いしているに違いない。

 

真駒内お墓.JPGお墓参りすると、必然的に「死」を思い、今、生きている自分と対峙する。この次元で生きていることを確認して、静かに感謝できる瞬間でもある。死を考えず意識もしない生...人生には、何の価値も意味もない。死を意識するからこそ、生を見詰められるのであり、内観することもできる。

 

日食アレンジetc 005.jpg私はお墓や仏壇、神社仏閣、大自然に向かって決して「お願い」はしない。「ありがとうございます」の感謝のマントラを声に出して唱えるだけ。「何かをお願いする」ということは、現在「それ」がないという決定的なネガティブ状況を認めてしまっている。反対に「ありがとうございます」のマントラはその感謝のイメージが引力となって、どんどんエネルギーが注がれるのである。豊かな人生を送っている人は皆、当たり前のように使っている光と黄金のマントラなのである。

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