プチトラウマなら早期発見、早期脱出!

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札幌雪まつりススキノ02.jpgのサムネール画像昨日の今日ってこともあるし(Blog消滅ミステリー)、別に義務でも仕事でもないんだから「何も考えずに今日くらいはBlogもCloseにしとこ!」...そう思っていた。でも、やっぱり何となく気になって(習慣はある意味怖い)PCに向かってはみるものの、手が動かない...コレってプチトラウマ?

 

んでも、まぁ「苦労や努力が報われない」...世の中、そんなガックリシーンは珍しくもない。例えば、一生懸命ガンバって、必死にハードトレーニングに耐えて来たのに...「いよいよ本番!」って時に練習の結果が思うように出せない。初戦一回戦で見事に玉砕、惨敗!なんてことは、学生時代に体育会系(注:スーパーアスリート以外)に所属していたら、ごくありふれた風景に違いない。

シーンは180度変わって...誠心誠意、真心を尽して愛し、貢ぎ続けてきた人なのに、ある日突然、何の前兆もなく、イトも簡単にあっけなくフラれちゃった(コレもある種の玉砕?)...そんな、砂をかむような惨めで虚しい思いは、コレ又(インパクトの強弱はあっても)誰だって、少なからず身に覚えがあるはず。基本行動がアクティブで恋多きボヘミアンなら、ホンとにありきたりで良くあることなんだわさ。

 

その時、受けた心理的・精神的なダメージを如何にリカバリーしていくのか、何時立ち直れるか...が、人の個性や能力って言うモノなんだろうね。経験として学んでバネにするのも良し。潔く、スッキリサッパリ忘れてしまうのも良し。そもそも人間の大脳新皮質ってのは、初めから「忘れるように出来ているメカ」なんやから。

しかも、越えられない山や波、打ち破れない壁なんてのも有る筈がない。潜在意識の中では「何時も自分の中に必ず答えがある」と分かっている。だからこそ何かを問題視したり、漠然とでも答えが見えそうだから、人は苦しんだり悩んだりする。そこに答えがあるのに手さぐりしても、手を伸ばしても届きそうで届かないから苦悶するんとちゃうの。

お向かいの山田さんや鈴木さんが「いや~、実に苦しい!大変なこった!」と、いくら大声で叫んだところで、彼らにとってそれがどんなに重要で、アリティのある難問だったにせよ、私が内容を一切聞いていなければ問題にはならない。だから当然、苦悶することもない。初めから自分の意識外で、全く知らないことを誰かに質問されたって、何一つ答えようがないじゃんか。つまり、自分が「問題だ!」と感じたら必ず、自分の中に「答えはある」ってことでないのかい?

 

な~んてことを自分に言い聞かせて、プチトラウマの原因になった昨夜のプチ動揺を静めている。意外に細心。至って小心。

 

★昨日今日の写真:時計台は雪像風だけどモノホンでっせ。緑色は氷像だす。

★週末の札幌は「ドカ雪祭り」土日の2日間だけで70㎝の積雪でっせ!そんな日の後、札幌市民10人中9人が切り出すと言われる挨拶代りの常套句...「帳尻合わせだべさ~」ってかい!※注釈:雪が降らない、降らないと油断してたら、突然攻撃された。「年間降水量は不変なんだべねぇ」...誰もが百も承知の気象情報を、誰が先に言うか...間のセンスを 争うだけの分かり切った「ドカ雪感想挨拶」

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