時代はMJ「スリラー」のワンシーン?vol.2

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R0011410(1)-00.JPGこの処、身近なお客さんからこんな二つのケースの話しを聞いた...学生時代からの親友に数年前にお金を貸したのだそうだ。当時、その親友は「どうしても必要」だったらしく、親友ということもあって彼は理由も聞かず黙って友情を示した。その後、返済する素振りも全く見せなかったので、返済要求してみたら...逆ギレ。「煮ても焼いてでも好きなようにしろ」そう開き直られた。

彼は止む無く裁判所で手続きをしたところ、今度は「借りた覚えがない」と白ばっくれてきた...泣く泣く法的な解決手段をとらざるを得ないんだ...と、彼はひどく落胆していた。長年の友情に応えたことが、まさか反対に仇になってしまうとは予想だにしなかったろう。彼は金銭も友情も失ってしまった。例えその時、心を鬼にして断ったにせよ結果は同じだったに違いない。


それともう一つのケース。これも良くあるモメゴト...近年では京都の老舗、一澤帆布の問題がつとに有名...家族、親戚、一族内での財産の相続問題。これは数人から聞いたのだが要約すると...法律に疎い筆頭の相続人を様々な策を労し、一人カヤの外に追いやって、片や利害が共通する身内同士が徒党を組み、弁護士や司法書士を雇って作為的に「遺言」を作り法律的に「財産の相続権を独り占めにする」策を講じる...というものである。

あたかも悲劇と怨念渦巻く韓流ドラマの如く...それは法律を意図的、恣意的に悪用した、むしろ犯罪と呼ぶべきものではないだろうか。合法であれば何をやっても許される?法は万人に平等というわけではない...ということだろうか。


何と情のない、世知辛い世の中になってしまったのだろう。かけがえのない友情や平和だった家族の絆でも、金銭(高低に関わらず)と欲望と怨念が絡めば、いとも簡単に放棄、決裂、破壊してしまう...欲望という名の炎は、油を注げばますます炎上し暴走と暴発を繰り返し続ける。それはとても心を持った人間の業とは思えない。もっと言わせてもらえば、魂を悪魔に売り飛ばした形だけの人間(=ゾンビ)、又は悪魔そのものの仕業に他ならない。


お金はなくちゃ困るものだけど、その人の器以上に手にしてしまうと(しかも不労所得なら尚のこと)、それこそエゴに油。必ずと言っていいほどトラブルが起きたり、悲劇が始まったりする。「そんな時は放っておいたらイイよ」「人を呪わば穴二つ...だからね」誰かの声が聞こえた。

天空にはアカシックという永遠不滅のレコーダー(記録庫)が在る。

そのレコーダーには宇宙の始まりから終りまで、永遠から永遠、無限から無限まで全ての記憶と記録がインプットされている。しかも、陰陽の電界で絶妙精微にバランスが保たれている。「天は全てお見通し。何でも知っている」所以である。

依って、例えば「天罰」とは(我々の善悪の意志を超えて)、他次元空間のバランスを保つための必然的な作用なのである。例えこの三次元で起きなくとも、次の段階(次元)かその狭間で、蒔いたマイナスの種は必ず自らが収穫(修復)しなければならない時が訪れる。「因果応報」とは「陰陽の法則」でもある。天罰はこの世界に生きる「気付き・魂の回復」のための最後のチャンスなのかもしれない。

 


「人間力のある正直者」は、最後の最後で「歓喜の果実の収穫」ができる。私はそう信じている。昔も今も「正直者がバカを見る」なんてことがある訳がない。そう言って「正直者、直球人間」を嘲笑する輩は、よっぽど結果だけを即求める近視眼的な見方の刹那人間か、試練修行の意味を理解していない唯物的思考の連中なのである。


あらゆるものを超越して宇宙の法則は不変、普遍...少なくともこの三次元はポジティブとかプラスの「エネルギー循環」を、感じ取って逆らわずに生きてさえいれば健康、幸福で豊かな生活人生は約束される。難しく考えれば難しい。素直に感じれば、スムースにイメージが見えてくる。自分を生かすも逝かすも、癒すのもEverything自分自身なんだからね。

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