スープカレー誕生!その3

|

ナンバグリコ1.JPGマジスパ以前のレストラン「BIGSUN」では何かにつけ華々しくやっていたが、クローズするに当たっては個人的に何も残せなくてもいいから借金も残さない。「人生の再出発は真っ白、0からのスタートでやるしかないっしょ!」と考えていたのでBS(BIGSUN)の財産やその後の契約権利などは、きれいサッパリ両親(今は他界しています)に全て潔く渡してしまった。(その時から現在まで続く韓流ドラマチックな内なるストーリーは、あまりにナマナマしいので書きまヘン)

飲食店を立ち上げるためにはハード面(内装や食器、調理器具など)を揃えることと、その後のソフト面(食材の仕入れ)をいかに管理、コントロールするか、規模の大小にかかわらずたとえ左脳を使わずとも最低限、必要でしょ。マジスパOPEN後、ご来客といっても数週間は日にヒトケタだったから、近くのスーパーや野菜屋サンの仕入れで十分。シカシ...である。お客さんが来ないものだから必然結果で売上もナイ!仕入れる資金メダルもナイ!そこでBS時代に長いこと取引をしていた数社の業者さんにお願いしてみた。

ガガガ、である。「社長ォ~(以前はそう呼ばれていた。私のように能力や適性がない人間が社長とか先生などと呼ばれると堕落するしロクなことはない)、カンベンしちくださいヨ~」「人手も足りないし、忙しくってねぇ...」 トホホ...いつ来るか分からない極めて少量の注文にイチイチ応えている暇なんてありまっしぇん、ということなのね。おまけにBS時代のコーディネートとは著しく異なるマジスパでの正装、エプロン&テレパン(レーヨン製のテレテレしたアジアンパンツ)ユニフォーム姿の私をシゲシゲと見下しつつ憐れんだ様子を見せながらも、お断りっ!だと。人は見た目100%なのだ!少しばかりの希望を抱いて叩いた「~金融公庫」の門でも、若き担当者は聞く耳持たずだったし...そもそも世の中ってのは民間であれ国家のシステムであれ、落武者や引き潮の民にはひどく冷酷なのである。我々のような弱小零細企業、家内制手工業には初めっから終りまでセーフティネットなんてありゃしない。その時もまた浮世の儚さを再痛感したっけ。

《で、やっと2の続き。この分だと4.5に行きそ~》

「コレってカレーじゃないべサぁ~」「スープカレーってなんやねん。けったいなモンやなぁ~」「カレー如きにこないな値段はナイではござらぬか」...云々、日々ご来店の数少ないお客さまの評判はすこぶる上々だった。スリランカカリーのA店のTマスター(私が高校時代からのお付き合い、現在はご勇退)、S店のMマスターも同じようなご意見。元々辛口のTマスターに至っては未だマジスパカレーを食していないのに「シモケ(高校時代のホーリーネーム)、そんな名前じゃ売れんべや~。変えれ、(スープ名を)取れ」と予想通りシカと好評を頂いたのである。

前記インドカレー店のダニエル社長(流暢な日本語を話すインド人。30年来の友人)とジャンパルさん(古くから父の患者さんでもあるチべット人)は二人ともポジティブシンキング人。全てがノープロブレムだから「スキナコトハジメタ、ベリーハッピーネ!」「ガンバレ!GoGo!」とこれまた励まされたのかバカにされたのかワケワカラン脳天気一本勝ち。

基本的に飲食店は「待ち」の商い。商い中(営業中)は「春夏冬中」って表示してるお店もある。秋がないから商いなのね。だから飽きないでやるしかないワケ。「100人に一人、1000人に一人でもいいから、その一人に感動の絶叫をさせるのがモノホンのゲージツなのら!」...料理は芸術だ、アートだ、エンタメだ!とこの極道を歩き始めたころから叫んでいたワタシ。でも現実にそんな状況が長く続くとスマイルもドコかぎこちなく、顔面の一部分も引きつってケーレン止まらず、「何を待っているのか」すら訳ワカンナイ状態になってしまった。

マジスパがOPENして二週間が過ぎたある夜のこと、身なりの整ったご夫婦らしき中年のお客さまがやって来た。店に入るなり、そのイデタチからは想像もできない下品でデリカシーのカケラもないダミ声で遠吠えた、「チェックしに来たぞ~!」

《予言通り 4へ続く》

MT4.1 テンプレート 無料(フリー)